2009/02
社会インフラ ―放送―君川 治


NHK放送博物館
:日本最初のラジオ放送の地、東京愛宕山には放送博物館がある。

イロハの「イ」
:高柳健次郎がテレビ実験で最初に映した映像、NHK浜松放送局前にある記念碑
 新聞を社会インフラとして取り上げる(本誌前号)のであれば、放送が出てくるのは当然の成り行きである。しかし、巷の情報を広く伝える手段として“紙ベース”の情報と“電波メディア”の情報では大きく違う点が幾つもある。
 前にも触れたとおり、新聞の歴史は権力との闘争の一面があり、更には一般紙の他に政党新聞や業界新聞などがある。これに対し放送は民間の放送以外にNHKのような公共放送がある。現在でも世界中では国営放送のある国が多くある。ロシアや中国のような共産党一党独裁の国ではプラウダや人民日報のような党機関紙が国営新聞のような働きであるが、最近は発行部数が大きく低下しているようだ
 放送、特にテレビ放送の普及により文字離れが進んでいると言われ、大宅壮一氏が「一億総白痴化」と嘆いたとおり、放送の影響力は非常に大きく恐ろしいメディアである。
 世界で最初のラジオ放送は1920年にアメリカのピッツバーグで開始されたKDKA局と言われている。その後、フランス、イギリス、ソ連、ドイツで放送が始められるが、フランスではパリのエッフェル塔から電波が発射された。


ラジオの時代
 日本での放送は1925年(大正14年)であるから、新聞発刊より60年も後であり、海外情報にも精通し社会基盤も確立されてきている時代である。最初の放送は社団法人東京放送局で田町の東京工芸学校から仮放送が開始され、その後大阪、名古屋でも放送が始まった。この3局を統合し社団法人日本放送協会となったのが1926年で東京愛宕山から本放送の電波が出された。逓信省はNHKの役員人事を逓信大臣の認可事項とし、最初の役員はすべて逓信省の官僚出身者で占められた。最初から官営放送の色彩が強い。
 放送の特徴は速報性と広域性であり、ニュース、時報、天気予報、経済市況などの報道番組に強さを発揮する筈だが、当時のニュースは読売・東京日日・毎夕・東京朝日・都・電通・国民・中外商業・帝国通信・時事新報・報知の順に、新聞社が提供する原稿をアナウンサーが読むだけだったそうだ。番組内容は報道約20%、教養約40%、芸能・娯楽約40%であったが、次第に戦時体制へと移行し、逓信省、陸軍、海軍で番組を編成するようになる。


テレビの時代
 テレビの本放送はドイツが最初で1935年である。日本では高柳健次郎が電子式テレビの研究開発を進めていたが、戦時下で軍事研究へと転換させられてテレビの研究はストップしてしまった。更に終戦後もGHQによりテレビの研究は軍事研究に繋がるとして禁止されたため、日本でのテレビ放送は大幅に遅れて1953年2月にNHK、8月に日本テレビが放送を開始した。ラジオ放送は欧米に5年遅れでスタートしたのに対し、テレビ放送の開始は欧米より18年遅れであった。
 テレビ放送はVHF、UHF電波を使用するので、山岳地帯の多い我が国では電波の届かない地域が沢山あり、NHKも民放も小型放送局を建設し、その数はNHKが約7000局、民放が約8000局ある。


放送と政治
 新聞と放送の大きな違いは視聴者がラジオやテレビの受信機を設置しなければならないことにある。これにより放送方式は技術面ばかりでなく産業政策として政治的に決められるようになる。その後のラジオ・テレビの動向をみると下記のとおりであり、現在の問題点は地上波デジタル放送である。
 1960年 カラーテレビ放送開始
 1963年 初の日米間テレビ衛星中継実験(ケネディ暗殺報道)
 1969年 NHK FMラジオ本放送開始
 1984年 衛星放送開始
 2003年 地上波デジタルテレビ放送開始
 地上波デジタル放送は、従来のアナログ放送と比較して妨害波に強く、ゴーストが無い(少ない)。ハイビジョン放送も行ない、ハイビジョンでないときは通常放送を複数同時に放送できる。データ放送が可能となり、インターネットと接続すれば双方向のやり取りができる、と良いことずくめのようである。
 しかし、地上波デジタル、BSデジタル放送を視聴してコマーシャルの多いのに驚かされる。今後認可する放送に対しては、「所謂ショップチャンネルの放送時間を30%以下に抑える方針」と言っている。2011年までに全ての放送局をデジタル化する費用は膨大で、放送局も社会的責任を放棄・削減し、「優良企業は利益を多く出すこと」という風潮に同調しているように思える。


放送の社会的責任
 話は変わるが、この狭い地球の何処かで戦争があり、尊い命が失われている。特に問題になるのが先日のイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区攻撃のような非戦闘員に対する攻撃である。これはハーグ条約で禁止されている事項である。
 日本では原子爆弾という非人間的な大量破壊兵器が広島・長崎に投下され、多くの国民が犠牲になって死亡し、その後遺症は未だに続いている。
 この兵器を開発したアメリカのマンハッタン計画には、著名な原子物理学者たちが開発・製造にかかわった。物理学者たちに罪はあるのか、使用した政治家・軍関係者の罪であって、物理学者に罪はないのか。その後「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、カナダのパグォーシュで湯川秀樹博士など世界22人の科学者たちが集まり、核兵器の危険性や科学者の社会的責任について議論された。
 それではテレビ放送という暴力的な情報武器を開発する科学者・技術者の責任は問わなくて良いのだろうか。核兵器の場合は力・熱・放射能など機能は単純である。これに対して、テレビ放送は番組という武器で、有益な情報、有害偏向情報、娯楽番組など複雑怪奇であるから、関係科学者・技術者の社会的責任を問うことは簡単ではなく難しい。困ったことである。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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